福島県は何度も訪問していますが、なぜか会津地方の観光はしていなかった私たち。今回は念願だった大内宿をメインに観光を楽しみたいと思います。
塔のへつり
大内宿に行く前に「塔のへつり」に寄ってみます。百万年の歳月をかけて侵食と繰り返し、見事な景観を造り出しています。自然が作り出したこの渓谷は、塔の形が立ち並ぶ断崖という意味から「塔のへつり」と名づけられました。へつりとは地元の言葉で断崖のことです。 昭和18年に「国指定天然記念物」に選定されています。
この「塔のへつり」、紅葉が素晴らしいそうです。今度はぜひ紅葉の季節にまた来たいと思います。
白蛇のホルマリン浸け? なめこの置物
行き当たりばったりで立ち寄ってみましたが、「塔のへつり」は面白い名所でした。なめこの置物、つい買ってしまいました♪「菌が増える」→「金が増える」にかけているそうです。ホントにお金が増えるといいですね。


<塔のへつり>「岩に付いた数々の名前」大川(亜賀川)にかかる吊り橋を渡ると、正面の岩には「虚空蔵堂」が祀られています。岩には形の特徴で名前が付けられています。鷲塔岩、鷹塔岩、獅子塔岩、屋形塔岩、櫓塔岩、九輪塔岩、尾形塔岩、象塔岩、護摩塔岩、烏帽子塔岩、屏風塔岩、土俵岩があります。水際近くには陰石、陽石、鰐口岩、夫婦石など、イメージ豊かな石の名前も付けられています。(パンフレットより)
大内宿

福島県南会津の大内宿は、江戸時代に会津若松市と日光今市を結ぶ道の重要な宿場町として栄えました。茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、国選定重要伝統的建造物郡保存地区に指定されています。
茅葺き屋根の葺き替え
400年の歳月を経ても残る伝統的な茅葺き屋根。村の人々が自ら保存活動を行うことによって維持されています。専門技術を持つ茅手(かやて)と呼ばれる職人を中心に、ほとんどの村の人々が協力し合い屋根の葺き替えに取り組みます。
「こめや」さんでランチ。栃餅を初めて食べる
「こめや」さんで会津そばと栃餅をいただきました。栃餅は独特のコクがあり、もっちりとした食感です。あんこときな粉でいただきました。
本家叶屋さんのちりめん雑貨がかわい過ぎで、一番おすすめ
大内宿で一番お気に入りとなったのが、この「本家 叶屋」さんの縮緬雑貨です。干支や唐辛子、ホオズキ、大根、柿・・・。どれもこれもかわいすぎる♡それぞれに意味があるそうです。例えば「大根は毒消し」「豆はまめまめしく働く」など。
全部買って帰りたいけど、今回は大根と豆と私たちの干支の蛇さんを購入しました。ヘビはお金と関係あるようで、巳年の人はお金に苦労しないと言われますね。この白蛇さんの顔がとってもかわいくて惚れました。
購入した干支のヘビと大根と豆
鶴ヶ城
美しい赤瓦の鶴ヶ城を見学しました。

野面(のづら)積みという積み方の石垣
鶴ヶ城の石垣で一番古いのが天守閣の石垣です。蒲生氏郷が築いたもので、専門的には「野面(のづら)積み」という石の積み方で、自然石を組み合わせて積み上げます。傾斜が緩やかで、裾野が広いのが特徴です。
白虎隊に思いを馳せて
1868(慶応4/明治元)年、鳥羽・伏見の戦いにより始まった戊辰戦争において、会津藩は旧幕府軍の中心勢力と見なされていました。新政府軍は江戸城を無血開城させ、白河城と二本松城を落とし会津へと向かいます。そして新政府軍は母成峠(ぼなりとうげ)を破ると会津若松城(鶴ヶ城)へと向かいます。新政府軍は連夜、会津若松城に砲撃を加え、とうとう会津若松城は開城します。城外で戦っていた白虎隊の少年隊士20名は、避難していた飯盛山から火の手があがる会津城下町を見て、落城したのだと思い込み互いに刺し違えて自刃しました。飯盛山で自刃を決行したのは20人で、そのうち1人だけはかろうじて生き延びました。飯盛山には「飯盛山・白虎隊十九士の墓」が祀られています。白虎隊を偲び、お参りすることができます。
鶴ヶ城からの景色

初めての会津観光。とっても良かったなー。また違う季節に行ってみたい。特に冬の大内宿は素晴らしい景観みたいです。
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